トイカメラHOLGAで、ポラロイドt32フィルムを使って撮りおろされた『moriyama daido t-82』
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2006年ごろだったか、渋谷のとあるカメラショップで森山大道氏のトークショーがあった。ホルガというトイカメラを使ってピールアパート式のインスタントフィルムで氏が撮り下ろした『daido moriyama t‐82』という写真集の発売記念だった。司会者を務めた友人が、「森山さんのレンズの前にはどうしてこんなに面白い景色が次々と現れるのか」と尋ねたら、森山氏は「僕にはどこを見ても全部写真に見えるんだ」といったように答えていた。私は森山氏がどんな写真家なのかもよく知らなかったのだけれど、「なるほど」と妙に納得したことを思い出す。写真と言っても絵と同じで、作り手が見ているものが表現されるんだよなあ、同じ景色を前にしても違うイメージが見えているんだなあと。
今のカメラはとりあえず押せば映るようになっていて、景色をキャプチャすることだけだったら基本的には技術はいらない。カメラに仕込まれたプログラムに任せておけば大体の用は足りる。しかし、撮る人が全然違うイメージを見ていたとしたらどうだろう? カメラ開発者やプログラマーの想定していない、その人だけのイメージは、その人のいろんな知識と経験を総動員して画像に定着されていくのではないか? そして、以前だったら必要だったカメラを取り扱うノウハウはもうほとんど不要になっているということではないか?
写真や映像を作るうえで考えなければいけないのは、技術的な能力とイメージを作る能力だと思う。技術は先人たちの仕事を知り、現代の機材やソフトをたくさん使っていれば身につくだろう。では、イメージを作る能力というのはどうだろう?
数年前、内藤正敏氏のお手伝いをすることがあって、西荻窪の喫茶店で何度もお会いし、何時間も何時間もお話しをさせていただいた。「婆バクハツ!」や「遠野物語」のようなストロボを使った撮影と、写っている背景を暗室で焼き潰していくプロセスについてくわしく伺った。ここでも、写真を仕上げるとは、絵を描くのと変わらないのだと納得した。引き伸ばし機の前でネガ像を操作する写真家の頭の中に現れたイメージは、眉間のチャクラから放たれる見えないエネルギーとなって印画紙に像を焼き付ける。そんな光景を想像しながら、内藤作品の魅力を理解した。そして、数々の写真を発表しながら、文化人類学の論考を多数発表した内藤氏の、人には見えないものを「見る力」を感じた瞬間だった。
英語で「なるほど」「わかった」ということを「I see.」というけれど、これは説明されている景色が「見えてきました」というニュアンスなのだと思う。風景を見て、「ああ、美しい自然だな」や「歴史を感じる街並みだな」と思うことが誰にでもあるだろう。この場合、私たちは目から入ってくる視覚の信号を頭で処理して、意味や感情がくっついたイメージを思考の中に獲得するというプロセスが起きている。普段私たちがぼんやり見ている景色は実は無限の量を持っていて、捉えられずに過ぎていくのだが、いざ思考が働くと一つのイメージとして捉えられる。この獲得されたイメージ=ヴィジョンを交換するのがコミュニケーションであり、ヴィジョンをパッケージ化するのが創造ではないか? 「見ること」があって、「創ること」が可能になる。何かを作りたい人はまず「見る力」を鍛えなければいけない。
「見る力」を鍛えるには、さまざまな経験を自分の目で見て自分の思考でしっかり考えなければいけない。今、私たちの周りはたくさんの情報であふれており、膨大な数の「ヴィジョン」が示されている。それらを知り、共感し、あるいは競うことは一定の効果がある。でも、ネット上で検索上位に表示されることが果たして真実だろうか? たくさんの人が言及していることが真実と言えるのだろうか? 「私」が信用するこの「ヴィジョン」を、どうして「私」は信用し、共感するのか? 私たちはときどき考え直さないといけない。その根拠をどこに求めるか、おそらく検索上位の「ヴィジョン」だけでは考え直したことにはならないし、自分の実体験から得られた「ヴィジョン」がなければ進歩はない。
AIのような先進技術が社会の中で力を発揮し始めた現在、我々は大きな岐路に立っているのかもしれない。テクノロジーが多くの生産作業を肩代わりしてくれるおかげで、私たちは自己の価値を示すチャンスが減ってしまうのではないかという危惧は、私も持っている。振り返って考えると、技術が未熟だった時代の私たちだって、生産手段の中で単なる歯車のように機能していたわけではなく、いつも小さな創造性とともに目の前の課題に取り組んでいたのだと思う。創造的な問題解決こそが、私たちの喜びであり、共感と憧れを生み出していた。そのチャンスが減っていくことは、創造力が育まれる場も減ってしまうのではないかと思っている。
では、どうすべきか。その包括的な解決策を示せるほどの哲学を私は持ち合わせていない。いま簡単に言えることは、見たこと、考えたことを独自の形にするのが人間の創造性だとすれば、創造することはとても楽しいことだと気づいてほしいということ。そして、創造のプロセスのほとんどは「ヴィジョン」を獲得する能力、すなわち「見る力」によるところが大きい。「見る力」を養うことは、技術がどれほど進化しても変わらない私たちにとっての本質的な課題であり、心を豊かにする楽しみであり、誇れる自分へと成長していくことでもあるのだ。
2024年3月 細田秀明
19世紀末トビリシの商業写真館で撮られたキャビネットフォト。帝政ロシアの富裕層の暮らしぶりが垣間見える。左 Александр Роинов(アレクサンドル・ロイナシヴィリ)、右 Дмитрий Ермаков(ディミトリ・エルマコフ)の作品。(細田のコレクション)
"Akaki's Voyage in Racha and Lechkhumi"
ジョージアの詩人、民族解放活動家、アカキ・ツェレテリが故郷のラチャ・レチフミに帰ったときのドキュメンタリー映像。現存するジョージア国最古の映画。
40年前、ルービックキューブが流行った頃、解き方はたしか公開されていなかったと思う? マニュアルを読んで解いたという記憶がない。ひたすらいじくり回しているうちにだんだん規則性に気付いてくる。最初の6面完成までに何ヶ月もかかったように記憶している。この映像は三面が回転しているチェッカーボードパターンの優しい作り方。
ChatGPTに指示してコードを書かせた動く星。マウスオーバーで回転します。
スマホの場合は星をタップすると回転、星以外をタップすると静止します。